神島のむかし


「神島のむかし」
P1上 神島のはじまり    神島は、越後国庄司だった藤田貞信の一族と家来の上保行則、薮年勝、    佳虎池重兵衛らが越中国に来住し、荒れ地を開拓することにより開か     ました。およそ650年前(一説に450年前)のことです。藤田氏     は後に円光寺を開きました。                   
P1下 お宮さん    南北朝時代に、神島にやってきたのが山伏の吉田定祐と河合正貞です。    2人は神島に神明宮を建てました。一方、神島を開いた藤田氏も村の上    手に稲荷社を建てました。明治45年に神明宮と稲荷社は合祀され、神    嶋神社となりました。                      
P2上 朱の池 神島には、俵藤太(藤原秀郷)が放したという蛇の伝説がある。城端    町縄ケ池にある、俵藤太の竜の子の伝説とも関連性があり興味深い。


P2下 旧遠藤屋敷 オミヤ 神島には、浅井長政の勇将遠藤喜右衛門直経の子、遠藤喜三郎が土着し、    帰農したと伝えられる屋敷がある。喜三郎の子、同名の喜三郎は飢饉の年    に若くして没した。残された妻は年貢がはらえず、今石動(現小矢部市石    動)の牢に入れられた。そして十三日の夜、オミヤという女の子を産み、    獄死した。残された女の子は、上保行則の嫡流、市右衛門によって引き取    られ、市右衛門の次男仁右衛門と結婚し、遠藤家を再興した。遠藤家から    は後に、出町長遠藤誠一や財界人遠藤石太郎が出た。         


戻る